業務トピック

時間感覚

法律関係の相談といっても、常に法律に関係する話であるとは限りません。
悩みを抱いて来られる方が少なくないわけですので、色んなお話を伺う機会があります。

そんな中で、人の時の流れについて考えることがあります。
時間は、現在から未来に一方向に進みます。
時計を見ていれば、そうとしか思えないとも思います。
(科学的には、時間の流れは相対的であるとそうですが、アインシュタインの話は私には難しいので、正直よくわかりません。)

相談者の中での時間というのはとても様々であると感じます。
例えば、障碍を負った場合、それを受容するとき、人は、螺旋状に受け入れていくそうで、受容できたと思っても、やっぱり苦しい。でも少しづつとなるようです。
未来に向かって一直線ではないのですね。

ケアの現場では、時間は円環するそうです。
時間を前に進ませるのではなく、ぐるぐると留まることで回復していくそうです。
焦って物事を進めると、バランスを崩してしまうこともままあるようです。

相談現場でお話をお伺いすると、懸命に前を向こうという方もいますが、一方で過去に留まる方もいます。
未来に生きようとする人もいます。
過去と未来と今を行ったり来たりする人もいます。

過ぎ去った時間を後で振り返ったとき、その時間の感覚は、後から変わることもあるでしょう。

仏教や、心理学、哲学では、よく「今を生きよ」といいます。ほぼ全てそう言っているというくらいに、あらゆる分野からそういわれます。

人が物事に熱中するとき、時間を忘れるということは誰しも経験があると思います。
こんなとき、その人の中では、今の時間で停まっているような感覚だろうと思います。
今を生きれた時、人は充実した時間を過ごすのでしょう。

人はもちろん、客観的には今しか生きてないわけですが、主観的には、過去に生きることも多いでしょうし、未来に進もうとしないということもあるでしょう。未来にばかり生きる(将来の不安など)こともあるでしょう。

過去に停まっていた時間や、未来にいた時間が、相談をきっかけにして、今を生きることに変化することもあります。
これは、多くの場合、良いことだろうと思いますが、こちらがそう感じただけで、場合によっては、将来への焦りで動いているということもあるかもしれません。

人は今しか生きていないわけですし、それ以外の時間の感覚は、ある意味虚構ではあります。
(感覚器官による誤りは、東洋ではブッダが、西洋ではデカルト(「我思う、ゆえに我あり」で有名)が指摘しています。物事について、目や耳などの感覚器官を通して、意識が認識するわけですが、必ずしもその通りが実際ではなく、あてにならない。)

しかし、その虚構にもきっと意味があるんでしょう。
アインシュタインの相対性理論のことはわからないですが、人は、今を生きる為にも、時間について、もっと相対的な態度を取ってもいいように感じます。遅く流れる時間がもっとあっていいと思います。

不安から未来を生きていないか、怒りで過去に生きていないか。
そこから相談をきっかけに、時間を動かすとき、それが今を生きているとなれば、相談は良い作用を生んだと言えると思います。
ただ、そうなるとも限らないわけです。

法律の相談は、法律の相談でしかないとも言えますが、人が相談するということは法律には留まりません。
とても難しいことではあります。


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