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借金の利息は当たり前のことか

借金には利息がつきものですが、昔から利息が当たり前だったかというと、そうでもありません。
古代ギリシャでは、アリストテレスが利息について否定的な指摘をしています。

アリストテレスは、貨幣論において、貨幣が貨幣を生むのはおかしいと言います。 
また、アリストテレスは、簡単に言えば、働いた分だけお金はもらうべきで、働いた以上の収入はおかしいし、働いた分より少ないのもおかしいというような話をし、報酬は働いた分だけ発生するべきだというようなことを言っています。                                

その後の西洋は、キリスト教的な世界観になっていきますが、利息については、旧約聖書で否定的な言及があり、キリスト教は、利息については否定的見解を持っていました。

13世紀、イタリアの哲学者トマス=アクィナスも利息について否定的な指摘をしています。

(利息を生むことになる)時間は神の財産。利息は神の財産を盗むもの。
そして、一つ貸したものに対して、二つの返還を求めることは、不正義の罪だとしています。
とはいえ、一方でリスク管理としてお金を取るという考えもあったようです。(返ってこなかったら困るから)

ところが、宗教改革で有名なルターは、ある程度の額なら容認するという態度を示します。
以降、資本主義が始まり、18世紀の産業革命を契機に資本主義自由経済に突入していきます。だんだんと利息というものが当然のものになっていきます。

現代においては、利息は当たり前ですし、日本の法律もそれを前提に作られています。
一部では、社会がこれを許容するから、こうなるのであって、社会はこのままでいいのかという指摘もあります。国によって、貸金や利息の規制はだいぶ開きがありますので、社会を統制する国の施策次第では、許容する範囲というのも変わるわけです。

日本の貸金規制は、社会問題となった平成16年から平成19年くらいで転換を見せます。
利息の制限が厳しくなったり、貸出の上限規制をしたりしたのです。
当時、日本では貸金業をしても儲からないとして、外資は撤退していきましたし、逆に日本の会社が、規制の緩い他の国に進出したという事例もありました。その国では多くの自殺者を出したとも聞きます。
つまりは、規制によって、社会は変わるのです。
国の統治は、国民の信託によってされますが、政府は国民の為に政治を行います。
近代政治の基礎となるルソー(18世紀)は一般意志(みんなによるみんなの為の政治というようなもの)とこれを呼びました。政府は国民の為に動かなければなりません。
これがうまくいけば、自殺者が出ることも一定程度防げるわけです。

さて、利息というのは、資産そのものから発生するわけで、労働の対価として発生するわけではありません。資本主義というのは、資本家=生産手段の所有者(土地やお金を持つ)が、その資産そのものから、利益が発生するという仕組みでできています。貸金の利息も同じですね。
現代社会が資本主義で回っている以上、利息というものは避けて通れないことになります。なので、今では当たり前とされています。

これまで振り返った通り、利息は歴史上だんだんと認められてきたもので、もともとは当たり前ではなかったのです。

このようなことは、明治時代以降または戦後に当たり前になったが、江戸時代、戦前はそうでもなかったというような事例には枚挙に暇がないそうで、今の当たり前は結構当たり前でもないことが多いのです。








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