経験的習熟(エンペイリアー)の指摘はとても重要。繰り返される記憶から一つのエンペイリアーを構成する。これが欠けているならば総観する能力が低下し少数の事実に着目しただけで安易に意見表明してしまう。これに注意を要するのが、実践的学術であり、自然科学と異なり他の仕方でありうるが故に慎重でなけれらばならない。思慮(プロネーシス)の関与を要し、あることを把握する上で単純な論理学に肩入してはならない。〇〇であることを把握するに当たり、徳を要する。徳は日本語の徳と異なり、アレテーといい有用性を意味する。人間のアレテーはよく果たすことであるが、人間の最高善は幸福である。かかる最高善に至るには倫理性を要する。思慮をもって欲求と感情を陶冶する。このような徳倫理学においてはあるルールに沿うことは義務であるからではなく社会的に影響があるからでもなく、そのルールに沿うことが徳のある人の行う行為だからである。例えば誠実が対象となる場合、誠実だといえるなら嘘をつくことも許される。これらを判断するのが、思慮と実践的推論である。行為の背景には論理学が通底しており法もその一つとして作用する。法はあるアレテーを社会に基礎づけるための習慣として通用させるのである。
世界とは、経験的に出会うそれぞれは何であるかを示す実体によって規程されるとともに性質や量あるいは他のものとも関係をもつ具体的で分厚い個体のあつまり。なにかあるということはありえるということを備えており、その発現に満ちた豊かな世界。
アリストテレスの世界観はとても中庸的。ストア派のような我慢の理想化でもなく実践的な哲学だなぁと。
倫理とは月並だと言っている。そんな月並な倫理を身につけるのは習慣が大事。ことの把握には習慣によって得られる繰り返しが大事。その過程を通じ、どのような状況においてどのような行為がふさわしいのか認識し、それを行うような自身のあり方を身につける。それが把握すること。やればできるじゃなくてやり続けたから知ることなんでしょう。