「わたしたちの応答は、自ら属するコミュニティで共有されている、つまり妥当だと認識された価値を通じた、他者理解をも表明している。司法モデルにおける個人に内在する道徳とは異なり、道徳は根本的にひととひとの間にある、つまり間主観的なもの」。道徳は協働的なもの。カント的なテーゼではなく、それぞれの文脈によって妥当する道徳は形成されるのだという指摘。道徳は一つに限られておらず、見方によって異なる理解を含意する。
また、ヴァルネラビリティ(脆弱性)も忘れてはならない。ヴァルネラビリティは元々IT用語で決して取り払うことが不可能な弱点性をいう。ケアは誰しもが受けるものであり、自分も当たり前だが例外ではない。ときにコロナ禍ではエッセンシャルワーカーの方達が社会をケアしていたことに気付かされたが、ギリシャ哲学的な意味で市民的に振る舞うことができるとすれば、それはそれを支える人達のおかげである。Who Cares?という言い回しが。直訳すると誰がケアするんだ?だが、「知ったことか」いう意味だそうである。ケアは誰がするのか。みながそうであるはず。社会が問われている。
司法書士相談業務 ケアの倫理
