パロール(音声)がエクリチュール(書かれたもの)化された後に、パロール自体がエクリチュールの影響下に置かれ、さらには取って代わられるという代補が生じるという指摘。
人間不平等起源論において、人間に生得的な哀れみの性質は土地所有と労働の発達により窒息させられる。そうして人間は不平等になっていくとする。このような発想はマルクス的であるが、ルソーは文明的であることを根本的には否定しない。この修正に社会契約論は応えることになる。
奴隷的であること、物理的強制下での実効支配は権利義務関係の基礎にならない。私の意志と他者の意志が一致するとき、即ち共同体全体に譲渡することで以て共同的自我を認め、共通利害(ロールズはこれを追求)をして一般意志を醸成する。そのエクリチュール化が法である。これは後世、多数派の専制や全体主義の萌芽として危険視される。さらには無私という徳のテロルにより複数性がなくなるとのアーレントの指摘はもっともな気もする。とはいえ、同時期に刊行されたエミールからするとルソーの思惑とは離れているとの解釈の方が妥当だと感じる。もっと矛盾に満ちたあり方に、自然人と文明人の矛盾的なあり方に親和的であると思う。ただ、アーレントの指摘する同情=共感的な法は危険だということはとても気を付けなければならない。エクリチュール化の影響は軽視できない。
福祉的な発想はときにそうした危険性と隣り合わせであろう。自戒せねばならないと感じた。
司法書士相談業務 人間不平等起源論
