業務トピック

司法書士相談業務 依存症

目的論的なプロセスが、累積的なプロセスが、大きなうねりとなって偏りを見せてしまう。資本主義の時代にあって、人は、もっともっとを求めざるをえなくなる。そうした偏りは対立的な競争を生み出し、相補的な関係を破壊する。一方で相補的な関係(庇護関係など)が行き過ぎるとこれもまた破壊を招く。歯止めがない。人間はバランスが大事で、突出すると破綻する。それを修正しようと何かをするも(依存対象)、それが歯止めが効かないから依存症になってやっぱり潰れてしまう。
抱えている苦しさが大きくなれば依存症に近づく。孤立したり不適切な関係にいれば依存症に近づく。変えられないものを変えようとすれば依存症に近づく。変えられるものをそのままにしておけば依存症に近づく。
変えられないことをなんとかしようと思わないことだ。
目的論的なプロセスを手放し、ある種、宿命的な見方をすることで対象から離れて見ることができるようになり回復のプロセスに入る。操作する主体として肥大しきったエゴを縮小させ起こったままを受け入れるのだ。
依存症の回復には底付きが必要とよく言われるがそれは全てを失うという意味ではなく、「これはやってるわけにはいかなくなった」という感覚を指す。それには徹底した自分の無力を認めることである。
アルコール、薬物、ギャンブル、スマホ…それら依存症は依存症を治そうとするのではなく、無力であることに寛大であること。その人の本当の困り感に寄り添い、またやったなどという(スリップという)病気モデルの論理で片付けないこと。
何のためにでなく、その人らしく今を生きる。それがなんなのかは本当のところよくわからない。回復という営みをわかったと思わないこと。わからないままにしておくのだ。

最近の記事

相続登記に必要なものとは?

支払督促と時効

相続放棄は3か月経ったらダメなのか?

PAGE TOP