業務トピック

司法書士相談業務 分割の世界観

公私について。信教の自由は侵されないとする。それは私的空間だ。しかしその範囲は曖昧だ。戦前の国家神道は近代化に合わせて宗教でなく(政教分離)儀礼であるとしたのは有名な話であるが、何が公であり、何が私であるかはとても線引が曖昧である。目的効果基準論はその曖昧さが指摘されているが、なるほどそのような曖昧さは至る所に見られる。訴訟で尋問するときに宣誓をするが、元は神に対するものだそうである。宗教に由来するものは少なくないし、公的空間は私的空間とクロスし至るところ宗教的である。遺体は祭祀承継者が取得すると考えられているが、法が宗教を位置づけざるをえないのは、それが社会空間だからであろう。私的な空間で完結できれば別であるがそうもいかない。社会問題として私的空間に法が介入することがある。dv防止法やストーカー規制法はその最たるもので刑法的にはとても特殊である。私的空間にこそ隠れた社会支配構造があるとはフーコー的な指摘であるとの記載に納得。公私はクロスしている。
ところで最近の法律実務は混迷していて方向性を見失っているのをよく感じる。何が私的自治の範囲で足りるのかはとても難しい。公が介入すべき問題、かつての公害のような社会問題は悪者がはっきりしていた。現代社会は悪者探しがとても難しい。アングラ化した私的空間は見えないのか見せないのかわからないが、公的介入が待たれる場面は少なくないだろう。現代は共感の時代ではないと思う。アングラ的であり、そして分割して存在してしまっているように感じる。公はどこにどこまで介入すべきか。消極的自由とはどう守られるのであろう。

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