医療モデルでなく社会モデルとして、つまりは環境との相互作用によって生じたり消えたりする障害をディスアビリティという。足が動かないなど、社会環境に依存しない障害をインペアメントという。本当はディスアビリティであるにも関わらずインペアメントであるとしてしまい、できないことを属人化することを危険視する。そのような見方は医療モデルへの回帰であり、可能性を閉ざす。足が動かないというインペアメントがあっても移動ができないとは限らない。またディスアビリティとインペアメントは混在するので、個々人について個別的に探求しなければならない。
アリストテレスの分配的正義論(必要な人に多めに)を源流に、センや、ヌスバウムの配分的正義論から障害学を考える。必要な人に必要な「モノ」をというのが配分的正義論。統治型の功利主義(全体利益の為に障害者など少数派の制限はやむなし)と、理性派のカント、ロールズ(真なる価値は少数派の権利制限も許さない)との二分論でない、第三の道としてアリストテレスは再評価されている。ヌスバウムには必要な人へのモノの配分追求は社会的原資がいくらあっても足りなくなりうるという現実的弱点があったが、ユニバーサルデザインがその回答になるのではというのが指摘されていた。ユニバーサルデザインが多様な価値観を否定しない形で実現できれば、一番いいですね。