客観的論理性を無視せざるをえなくなる空気のことを臨在感的把握と呼び、対立概念で把握することを排除している状態と指摘する。一切の相対主義を排除し、一方を善として固着させる。それを排するには現実という通常性、即ち水を差すということが必要になる。
しかし水を制御するのも難しい。ある現実においてはある尺度が絶対視されることが不適当だとされることがあり、水が入っていくことがそもそも適切だとされる場面があるのだ。とある場面においては一般論が不適当だと。
しかし、それがまた新たな空気を醸成する。
それらを脱するには、空気から自由たることが必要である。あるゆる拘束を、自らの意志で断ち切った自由なる思考と、それに基づく模索だけなのである。空気から脱し、通常性的規範から脱し、事実に即する。表れた事象に対し思わず笑い出してしまうような客観的な態度が必要なのである。
司法書士相談業務 空気について
