石器時代から現代までの経済の歴史の社会学的考察。産業革命が英国で起こったのはペストで人が死んで賃金コストが上がったので必要に迫らせたから。奴隷制が機能してしまっている国では賃金コストがめちゃくちゃ低いので起こりえない。産業革命後、20世紀はイノベーションの時代で、経済成長していったが、ここ40年程度は鈍化。GDPはそれでも微増しているが、上流層だけに富が集中し、中間層は維持ないし下がり続けている。これは日本だけの現象ではなく、アメリカの90%の人の実質的な購買力の向上は30年でゼロだという。むしろ中間層は切り崩され、下流化の傾向にあり、経済成長の鈍化は、中央銀行に金融緩和をさせる。金融緩和し、金利を下げると、不動産価格は上昇。結果トマス・ピケティの言う通り、持つものと持たざるものとの差は広がる。21世紀はイノベーションとなったのはスマホくらいしかなく、ポスト工業化の時代にある。経済成長は望めないが、それでも100年前に比べれば豊かさで溢れており、不自由ないはずであるが、実際の社会に生きる人はそう感じない。人は相対的に経済を感じるので、つまりは人より多いかどうかであり、その追求に満足の日は訪れない。経済成長の時代は終焉した。右肩上がりの時代は石器時代時代からの経済史では稀なことであり、それがいつまでも続くと考えてしまうのが現代における経済信仰である。
ポスト工業化の時代はコミュケーションの時代であるが、経済的不平等に人は耐えられない為、不平等の問題に直面しないよう似た出自の人とだけ交流するようになる。経済成長の鈍化は中流を削りつつあるため、不平等に直面しないよう削られた人はさらにそういった似た者を志向する。では、それよりも下がらないはずの最も困窮する人はどうなるか、孤立か、マイノリティへの排斥行動になる。
こうしたことを克服する為には競争と妬みの文化(相対的な経済志向)を超越しなければならない。個人の思いと社会的欲求が同じ目的に向かうより幸福への道はない。