日本における自己責任論の淵源から。古代、物乞いは宗教的な意味合いがあり、現代でも見られる仏教の托鉢のような神聖さがあった。中世では飢饉時に村の負担になることがあり、冷酷な面が出て盗人を村が死刑にする一方で、物乞いはむしろ労働として推奨され、それをやってなお困窮する場合は村が助けた。(共助的)
ところが近世では物乞いをたぶらかしと考えるようになり、宗教性は後退する。一方で越前など一部地域では物乞いは気の毒だからと寧ろ歓待される地域とあり、そこでは地域共同体としての意識が大変高かったことが記録として残っている。
江戸中期以降にかけて身分秩序のもとで、有用と無用、質素倹約勤勉が倫理化され、身をたつるものとして、自己責任論が強く顕れ始める。その倫理観のもと物乞いは脱落者と見られるようになる。明治に入り、物乞いは刑罰対象となる。困窮者は犯罪者となった。法定化は法が先立つのではなく文化が先行してきた。とりわけ都市部においてその傾向は強く、貨幣経済の発展と正の比例関係が見られる。国は富国強兵にあたり、勤勉さを推奨するためにその文化にのっかり法定化し、そのことで自己責任文化は更に強くなる。
現代においてもその意識は強く残っており、貧しい人達の支援は国の責務と考える人の割合は日本は59%で47カ国中最下位である(アメリカの研究機関調査。韓国87%、中国90%、インド92%、アメリカ70%。1位はスペインの96%)。