無脳症など意識がないのではないかと思われるような超重度障害を持つ人々がなおも他の人と関係性の中で生きていることを報告する。外的な表明はできなくても快不快は内在器官で感じている。他の人が触っても反応がないのにお父さんが触ると筋肉の張りに反応が見られるのだ。
うめき声が響き、生きているだけでも苦痛を伴う。見学した人はショックを隠せないという。あまりにも無惨な姿に息を呑む、怯む、それは偏見ではない率直な感覚であり、涙する感情である。しかし、そのことは排除の思想に転化する危うさがある。治る見込みがないとしてかつて健康保険が適用されず病院から追い出された歴史さえもある。
そんな中、超重度障害者のために奔走した糸賀は「この子らに世の光を」とし救いあげるのだとして活動をしたが、今は「この子らを世の光に」と考えを改めているという。「人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うところに初めて成り立つのだ」と。
糸賀の思いは願いなのかもしれない。
しかし、誰しもがそう生まれたかもしれないことは決して否定できないだろう。ならば、お互いを光だと見て取ることは決して誤りではないはずだ。
初めて重度精神障害の病棟に足を踏み入れた日のことを思い出す。いったいどうしたらよいのかと怯んだ。今もそれに答えはない。しかしお互いを光として尊重するということに何かおぼろげながらヒントを貰ったような気がする。
司法書士相談業務 超重度障害
