業務トピック

信義則と関係的正義──賃貸借終了と転借人の保護をめぐって 大東の司法書士から

契約関係が三層に重なるとき、法の形式と信頼の倫理はどのように交錯するのか。
最判平成14年3月28日判決は、賃貸借契約の終了を転借人に対抗できるかを問うものであり、
「信義則」という一般条項がどこまで私法秩序を調整しうるのかを示した重要な判断である。


1 事案と争点の整理

賃借人Aが賃貸人Bに更新拒絶を通知した後、Bが転借人Cに対して「契約は終了した」と主張した。
これに対しCは「更新拒絶は信義則に反する」と反論した。
法的には、民法613条3項(改正後も維持)により、合意解除を除いて賃貸人は転借人に終了を対抗できる。
しかし、賃貸人が転貸借の締結に**積極的に関与(加功)**していた場合には、信義則が介入し、終了主張が制限される。

最高裁はこの「加功」を重視し、

「賃貸人が単に転貸を承諾したにとどまらず、転貸借の締結に加功し占有原因を作出したときは、
その終了を転借人に対抗することは信義則上許されない」
と判示した。


2 信義則の二つの顔

信義則(民法1条2項)は、「誠実に行動せよ」という一文以上の意味をもつ。
それは、形式的な法秩序の内部に倫理を導入する動的な媒介原理である。
本件におけるその働きは、大きく次の二つに整理できる。

(1)制約原理としての信義則

形式的に正当な権利行使であっても、社会的妥当性を欠く場合には制限される。
たとえば、終了を主張できる立場にあっても、転借人の信頼形成に深く関与していたなら、
その主張は「信義に反する」と評価されうる。
信義則は、私的自治の自由の外側に「倫理的限界線」を引く。

(2)調整原理としての信義則

一方で、信義則は単なる制約ではない。
複数の契約関係が交錯する場面では、形式的ルールのみによる判断は困難である。
裁判所は各当事者の関与の程度・信頼形成の過程・社会的期待を総合考慮し、
関係を再構築するように事案を調整する。
すなわち、信義則は“関係的正義”を実現する創造的原理でもある。


3 学説と制度的背景

従来の学説は、昭和36年判決に基づき「転借人は保護されない」としてきた。

明治民法以来、私的自治の原則は「契約自由・意思自治」を中核として発展してきた。
しかし経済構造の複雑化とともに、契約関係は単純な二者関係ではなく、
仲介業者・転貸人・保証人・利用者といった多層的関係構造へと変化した。
こうした社会では、形式的な権利関係だけでは公正な調整が困難となる。
信義則が再び注目されるのは、
まさに「関係の複雑化」と「形式法の限界」が並行して進んだからである。
信義則は、自由の制約ではなく、関係的正義の回路である。
当事者の意思よりも、信頼形成の過程そのものが法の評価対象となる。

近年は、

  1. 催告・代位弁済の機会付与説(転借人の信頼保護)
  2. 社会的通念説(誠実取引上の期待保護)
  3. 改正民法後も信義則による柔軟な調整を肯定
    との指摘がされるようになった。

すなわち、形式的な契約構造の背後にある「関係の形成過程」こそが、
信義則によって評価される対象となっている。


4 実務的含意──「関与の痕跡」をどう扱うか

現代実務では、サブリースや高齢者施設入居契約など、
転貸型スキームが一般化している。
本判決の意義は、賃貸人がどこまでその構造に“関与した”と評価されるかが、
法的責任の有無を左右する点にある。

実務対応としては:

  • 契約書で「転貸関与の範囲」を明確化する
  • 終了時の通知・協議条項を設定する
  • 「信義則上の期待保護を抑制する文言」を盛り込む

これらは単なるリスクヘッジではなく、関係の倫理を契約に織り込む作業である。

実務的には、サブリースやフランチャイズ契約など、
「本契約と下位契約」が連動する取引において信義則が重要な意味をもつ。
形式上は独立契約であっても、社会的実態としては一体的に運用されるため、
一方の終了・変更が他方に不当な影響を及ぼすことがある。
裁判所はこうした場面で、条文ではなく「関与の程度」や「信頼の形成過程」を手がかりに、
契約間の調整を図る。
この柔軟な思考法が、法的安定性と社会的妥当性を両立させる鍵である。


5 「形式的権利」と「社会的信頼」の交錯点

形式的に適法であっても、社会的信頼を破壊する行為であれば、
法はそれを容認しない。
この発想は、消滅時効援用や権利濫用など、他の分野にも通底する。

法は単なるルールではなく、関係の再構築を支える装置である。
信義則はその装置に倫理的呼吸を送り込む。
司法書士にとってもこれは抽象理論ではなく、
後見・任意代理・死後事務など「制度と生活の境界」に立つ現場で、
日々問われる課題にほかならない。


6 おわりに──信義則を“倫理技法”として使う

信義則は、単に過去の信頼を保護する規範ではない。
それは、関係の未来を構想するための原理である。
後見・任意代理・死後事務といった司法書士の実務においても、
「本人の意思」と「社会的妥当性」の間で判断が揺れることが多い。
そのとき、信義則は形式的ルールと生活実感の橋渡しをする。
制度と人間の間に“呼吸”を通わせる原理
それが、現代における信義則の生きた意義である。

信義則とは、条文に隠れた「共生のルール」である。
それは相手の信頼を裏切らないための社会的技法であり、
同時に、法が人間関係を回復させるための回路でもある。

賃貸借終了という形式的行為の中にも、関与と信頼の痕跡を見抜き、
その倫理を読み取ること。
それが、司法書士が“法の翻訳者”として生きるための実践的哲学である。

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