業務トピック

ケアの倫理と法

ケアの倫理による再構成

女性問題は思想的だと捉えられがちであると思いますが、学術的にはそうでもありません。アメリカの哲学者キテイが理論構成し、福祉学に多大な影響があります。

男女の社会的非対称性は、一部では学術的には福祉哲学におけるケアの倫理での再構成がなされ、法哲学の一部からも同様の位置づけがされつつあります。

脆弱性

福祉哲学では、総論として、このようなことを「ヴァルネラビリティ」といい、日本語では脆弱性と訳されます。

この脆弱性は、もともとIT用語で、パソコンなどで脆弱なシステムを指す用語です。それが転じて、社会システム上・または本質上に脆弱な立ち位置にいることを指すようになりました。

この脆弱性は、本質的にケアが必要な人を指すだけでなく、さらにそのケアをする人のケアをも指します。

乳幼児や障がいがある人、もっと広くは全ての人間が他人の力なくして生きてはいけない、そしてそれを支援する人を放置すれば、疲れ果てる為に、ケアする人の支援を必要とするとの指摘がなされています。(三者間以上の循環的な公正観)

日本では、東日本大震災の時に疲弊するボランティアを支援するという形で広がりを見せました。当時のことを覚えている方もいるかもしれません。

東日本大震災のような災害時だけではなく、このようなケアに日常的に多く従事してきたのが女性でしたし、今もそうです。

そして、男女問わず、福祉・介護従事者というケア労働も非常に安く扱われますし、誰しもがケアを必要とするにも関わらず、ケアは一部の人に押し付けられてきました。

依存

ケアの倫理では、ケアをポジティブな依存と捉えます。これはネガティブに捉えられがちな嗜癖とは意味合いが異なり、自立と依存という捉え方ではなく、孤立と依存との対比で語られます。孤立は、自らのみで生きていくことを基本的思想しますが、ここでいう依存は、必要だと読み替えるとわかりやすいと私は考えています。

友人Aが友人Bに依存(必要と)し、友人Bが友人Aに依存(必要と)する。その為、A、Bは孤独ではないとして、依存をポジティブに捉えています。

つまりケアされることは、別にネガティブなことでもなんでもないのですが、ケアするだけだと負担が募ります。その点に問題点があります。

非対称性の克服

自由に任せたなら、この非対称性は克服できません。

一部の法哲学者からは、これらについて法制化の模索がされていますが、技術上乗り越えるべきものがあまりに多いようです。

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